55歳からのアイルランド留学日記

3ヵ月、ダブリン郊外の語学学校に通いつつ、ケルトの風に吹かれてくるよ〜

ベルファスト〜流され続けた血の痕が投げかけるもの

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アイルランドに来る前にアイルランドを舞台にした映画を数本観た。

そのうちの一本が『麦の穂をゆらす風』。
社会派の巨匠、ケン・ローチ監督の2006年の作品で、カンヌ映画祭パルム・ドール(最優秀賞)も獲得した話題作(にして名作)。
でも、私は観たことがなく、渡愛前にあわてて観たのだった。

 

冒頭、「ハーリング」(ケルトの伝統的な、ホッケーみたいな屋外球技)に興じる若者たちが描かれ、主人公デミアンはロンドンに渡り医者になることが話される。1920年。トーンは決して明るくないが、若者たちの会話は親愛の情と希望に溢れている。そこへ英国軍(ブラック&タンと呼ばれる悪名高き非正規の軍だろう)がやってきて、若者たちに詰問を始め(すべての集会が禁じられている中で、しばしばハーリングも取り締まりの対象になった)、自分の名前を「ミハエル」と名乗った若者が「マイケルだろう!」と打たれ、鶏小屋に連れていかれる。
「終わった」と去っていく英国軍。嘆き悲しむ母親と姉(デミアンの恋人)、十代で惨死した友人を目の当たりにして、デミアンは英国に渡るのをやめ、アイルランド義勇軍IRA)の活動に身を投じていく。

 

親友に裏切られたり、親友を殺されたり、殺さざるを得なかったり。
中でも辛く、考えさせるのは、1922年、奇跡的に勝ち取った長い和平交渉でようやくまとまった条件(北アイルランド6県が英国に残り、さらにアイルランドは英国に忠誠を誓う)をのむか、のまないか、で、かつての同志が引き裂かれていく過程だ。
かつて同胞だったデミアンと兄のテディは、それぞれの正義と同志への忠実のため、敵と味方に分かれていく。

「これ以上血を流さないために」条件をのむのか、
「これほど血が流されたのだから」条件をのむわけにはいかないのか。
最初から最後まで身を抉るような絶望、怒り、哀しみを訴え続ける作品は、衝撃的なエンディングの後にも、その問いを投げかけ続けた。

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8月1日、学校を休んでベルファストジャイアンツ・コーズウェイ、そしてキャリック・ア・リード吊り橋を訪れる日帰りツアーに参加した。
正直、北アイルランドを訪れることには躊躇いがあった。とくにベルファスト
訪れるからにはそれなりの覚悟と勉強が必要だと思ったし、北アイルランドは遠いし、重い。次の機会でもいいかなと思っていたが、ひと足先にベルファストを訪れた友人に、絶対行ったほうがいい、と勧められ、申し込んだ。

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バスは平日にもかかわらず満席で、2台が連なって出発。7時にダブリンを出発したバスは意外に早く9時半にはベルファストに到着した。
乗客はタイタニック・ミュージアムか、西ベルファスト市内を回るBlack Taxi(政治的な背景の説明を聞きながら壁画や追悼の碑を回る)を選ぶことになっていて、迷わず後者を選択。

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北アイルランドでは、1966 年プロテスタント準軍事集団( UVF13) が発足、カトリック準軍事団体(IRA)に対して宣戦布告。1969年にはデリーで、長く差別に苦しんできたカトリック系住民による暴動が勃発。以降、1998年ベルファスト合意まで30年に渡って内戦状態が続いた。
死者3459人(一般市民1855人)、うちベルファストの死者1540人(西ベルファスト623人)、負傷者47541人、発砲36923回。
30年間、毎日発砲の音が止まなかった街。いまもカトリック系とプロテスタント系住民を分ける「壁」に描かれた壁画を慌ただしく見て回りながら、想いを馳せるには時間が足りな過ぎると思った。写真を撮って、説明を聞いたら、すぐ次へ。観光ツアーの一環なのだから仕方がないが、とても失礼なことをしている気分になってしまう。

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カトリック系住民が住むフォールス・ロードには1981年にハンガー・ストライキで獄中死したボビー・サンズを始め、政治的な犠牲者でもありヒーローでもある人の絵が描かれ、同時に、ネルソン・マンデラモハメド・アリなどの絵も。

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一方、プロテスタント系住民が住むシャンキル・ロードに入ると英国旗がこれでもかとはためき、全く逆の立場のヒーローの壁画が。
麦の穂をゆらす風』に描かれたものが、そこに形として現れ、頭がしばし分断し、停滞してしまう。

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中立はあり得ないし、自分がそこに住んでいたなら、どちらかの正義のために闘っていたのだろう。

こうやって観て回ると、英国旗を掲げ広々としたシャンキル・ロード周辺より、人が密集し、肩寄せ合って暮らしているように見えるフォールス・ロード周辺に肩入れしたくなるが、“正義”はそれぞれにある。

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ベルリンの壁が壊れても、いまなお二つの住民集団を分ける「平和の壁」は、互いの心に現存する壁でもある。

実際、交流はほとんどなく、壁を超えることも稀で、子どもの頃から教育は隔たれているという。

それでも、いま、発砲の音を聞かずに、この街が観光スポットとして在る、ということには、大きな意味と可能性がある、と思う。

流された血は、決して無駄ではないはずだ。

そして、正義を超える共感が、いつか壁を壊す日を夢想するのは、楽観的ではないはずだ、きっと。

 

立派な教会の中に入らせてくれたところを見ると、運転手さんはカトリック系なのかなと思ったが、あえて聞かなかった。

淡々と説明してくれたけれど、言えない想いもきっと胸のうちにあるのだろう。
わずか1時間半、駆け足で回ったベルファストの街。

人間そのものが凝縮されたような街を、また訪れたいと思う。

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