時を通り越してしまったまち、ダングロー
Dungloeというまちを、どんな風に語ればいいのだろう。
ダブリンからゴールウェイまではバスでも電車でも行くことができる。でも、ゴールウェイからドニゴールに行くにはバスか車だけ。そしてカウンティ・ドニゴールの中心地、ドニゴール・タウンからバスで行ける最終地点がDungloe(ダングロー)。
そこは、あるミュージシャンが“There is nothing, but there is everything” と言ったまち。
「まちの中心には通りが一本あって、そこへ降り立つとすぐに誰かに見つかる。そして、あっという間に町中の人に知れ渡り、その先3日間のスケジュールが決められてしまう」とライヴの時に言っていた。
そのまちの名を、ドニゴール出身のジェラルディン(語学学校の先生)に尋ねたら、「もちろん知ってる。だって、私のホームタウンだもの」と言われて、びっくりしたのがひと月近く前。
予定していた宿をキャンセルし、Dungloe にある“The River House”というB&Bに一泊することにしたのだった。
ガイドブックには載っていないし、ドニゴール・タウンからのバスは一日に3本。Abbey Hotelの前で待っていたら、やって来たのは古いマイクロバスだった。
そこから約1時間半。グレンヴェー国立公園から帰ってくるときに通った道を戻るようにバスは進んだ。
道は岩だらけでアップダウンが激しく、とにかく揺れる。娘は相当気持ち悪そうにしている。
私はその荒涼とした風景を眺めながら、そのミュージシャンの音楽をずっと聴いていた。言葉も、ギターの音の一粒一粒も、その風景にぴったり過ぎて怖いくらい。
行けども行けども何もない。岩だらけの大地と水たまりのような湖と低い山と空と雲があるだけ。
バスのドライバーに“Last stop” と言われて降りると、一本だけある道の真ん中だった。ああ、ここがあの通りか。
すっかり気持ちが悪くなった娘がとにかく休みたい、というので、カフェに入る。サンドイッチもパスタもハンバーガーもソフトクリームも何でもある店。古いロードムービーに出て来そうな。
私は外に出て、Beedy’s Barを探す。2軒先にその店はあった。
一服してB&Bになんとか辿り着く。
背が高くショートヘアが似合う主人は、何の手続きもなく、部屋に案内してくれる。
古い写真があちこちに飾ってあり、いつ頃の写真?と聞くと「100年前。ほとんど変わってないけど」。
部屋に入ると、娘の体調はますます悪化。バスに酔ったのか、はたまたアンジェラに飲まされたシードルのせいか、シーフードの食べ過ぎか。嘔吐と下痢でトイレを行ったり来たり。
しばらく背中をさすっていたが、このままここで一晩過ごしてしまうと、何のためにこのまちに来たのかわからない。
「気持ち悪い……」と言いながら「行ってきていいよ、あのBar」と娘。「行かないと、何のためにここに来たのかわかんないじゃん」と。
「じゃあ、ちょっとだけ行ってくるね」
少し落ち着いたように見える娘を部屋に残し、Beedy's Barのドアを開けると、女主人らしき女性がいて、バーカウンターは男たちで埋まっていた。
ギネスを注文して、ミュージシャンの名前を言うと、「もちろん。春にも来たばかり」。
昼から何も食べていなかったので、「何か食べるものある?」と尋ねると、「2軒先にカフェがあるから何でも持ち込んでいい」と。
カフェでチキンウィングとサラダを買って戻ってくると、親しげな笑みを浮かべた男性がギネスとスマホ片手にやってきた。「春にそこのソファで演奏した時の映像だよ」。
その小さなバーで、4人のギタリストがセッションしている。日本語で歌っているが、ドニゴールの歌だ。
ブレンダンという男性は、「僕は彼を知っているけど、彼は僕を知らない」と言い、一生懸命映像を送ってくれようとするのだけれど、容量が大き過ぎて送れない。
そのうちに、その映像に映っているギタリストの一人がギネス片手にやって来た。
ダックランという名前で、「彼とはいつ知り合ったの?」と尋ねると、「うーん……20年以上前かな」。
ダックランに「彼」の最新MVを見せると、「ああ、ここはあそこだ。この山があそこで……いま通り過ぎたのは僕の友人の家」。ほとんど道しか映っていないのに、「彼が撮ったんだろう? わかるわかる」と。
彼はかつてGoats Don't Shaveというバンドをやっていて、いまは気ままなミュージシャン。紙巻き煙草とバイクが好きで、明日フェリーでフランスに渡り、スペインをぐるりとツーリングするという。
「いつまでいるの?」と聞かれて、明日にはアーダラに行くと言ったら、「ああ、編み物が好きなんだ。あ、織物か」と興味なさそうな様子。そして、2杯目のギネスを奢ってくれた。
「スロンチャ!」とゲール語で乾杯。
Barには家族連れもいて、男の子がアカペラで歌うとみんなシーンと聴き入って、終わると拍手の渦。Barが一つの家みたい。
ふらりと訪れたのに、ちゃんと会える人には会えるまち。
たぶん20年前も30年前も、ほとんど変わらずここにこうしてあったのだろう。
遠い地の果てのような、隣のまちのような。
知らない人ばかりなのに、みんな昔から知っていたような。
時が止まったというよりは、時を通り越してしまったような、不思議な夜だった。
部屋に戻ると、「どうだった?」と娘。
良かったよ、と答えると、「なら、よかった」。
私がいない間にも何度か吐いたらしく、完全なデトックス・モード。
背中をさすって、テルミー(お灸みたいなの)をして、そして眠りについた。
リヴァーハウスのベッドは、とても寝心地がよかった。