60歳からの監督日記? 初めての映画『杜人』上映で南仏へ!
2019年以来だから、ほぼ4年ぶりです!
皆さん、お元気だったでしょうか?
いま、南仏のスラスクという街に来ています。
アイルランド留学から帰ってきた翌年の5月から撮り始めた初のドキュメンタリー『杜人(もりびと)環境再生医 矢野智徳の挑戦』を4年がかりで完成させ、2022年4月にアップリンク吉祥寺で封切り。「ナウシカのような造園家」を追いかけた映画はおかげさまで全国46のミニシアターで公開され、現在も自主上映が全国で続いています。
海を超えて映画を見つけてくださり、自力でフランス国内の配給をすべく大変な手続きを乗り越えてくださったのが島内アゾラン咲子さん。今回「2週間オキシタニーの日本祭」で4つの映画館での上映を決めてくださったのでした。
まさか人生でこんなことがあるなんて、想像もしませんでしたが、2017年のアイルランド留学が大きな転機になったことは間違いありません。
その時にも感じた「足るを知る」暮らしぶりが、ここ南仏でも息づいていて、部屋は必要以上に明るくないし、寒いし、高速道路は街灯を消したそうで真っ暗だし。
でも、そのおかげで満点の星と月が世界を照らしてくれて、サラスクという田舎町で和紙職人を営むブノワ(大家さん)は島根の浜田市で和紙づくりを学び、コウゾをすいて本当に綺麗な和紙をコツコツとつくっています。
今日の夕方と明日夜の上映&ディスカッションを終えたら一路東京に帰りますが、62歳の誕生日をペズナという街で迎えたことは、一生の宝物です。
配給に協力してくださる環境団体のコリーヌと話すと、神宮外苑の樹木伐採をとても心配していて、「フランスで署名を集めたら? そんなに木を伐るなんて、ありえない!」と。この夏、40度近い気温で雨が降らなかったこの地域では植物が弱っていても散水を禁止されていたそうで、モンペリエという空港のある街では、5万本の植樹を宮脇メソッドで始めるそう。
「行政は市民の声を受けて動く」というアルノーの言葉を聞いて、「あきらめちゃいけない」と想いを新たにしました。
土よりも岩が多い土地だからか、街にコンクリートは少なく、部屋にはTVもウォシュレットもなく。
昨日の帰りが深夜になったからか、風邪をひいたようで今朝はおとなしく昨日買ったポロネギのスープで体をあっためました。
古いものを大切にする国。スクラップ&ビルドを繰り返す日本の街づくりは一体いつまで続くのか。でも、「絶望しそうなときは、前を向かずに足元を見る」by肥田舜太郎先生。
近くの湖で出た完璧な虹に背中を押されて、さあ、今日も行ってきます!
2023.11.23
See you again, my hometown!!
8泊11日(機内泊2日)の旅から戻ってきた。
梅雨が明けてニッポンの夏。ふーっ。
預けてきたマルチーズのマーくんを迎えにいったら、帰りに道端で下痢。大喜びというよりは、恨めしそうな表情で睨まれた。
リヨン、パリ、ダブリン、タラモア、ダン・レアリー。タラモア以外は移動ばかりで、もっと小ぶりなスーツケースにしておけばよかった、と反省。大学を卒業する春にひとりでヨーロッパを回った時は確かバックパック。まだ寒かったけれど、持ち物、着替えは極力少なくしたはずだ。この次はもっと身軽にしていこう……と、早くも次を考えている。
パリでは、友人の大塚恵美子さんがひと月滞在していたアパルトマンに泊めてもらった。ふだんからお洒落な大塚さん、パリを自分の庭のように歩いていて、お上りさんの私たちとは大違い。日本で素敵に暮らしている人は、パリでもどこでも素敵なんだなぁ、と当たり前のことを思った。
一日しか時間がとれなかったパリ。娘が行き先に選んだのは、エッフェル塔と凱旋門(なんとベタな)。夫は、新しくできたアトリエ・デ・リュミエールでやっているゴッホ展。アパルトマンを出てメトロに乗り、エッフェル塔は仰ぎ見て、凱旋門は昇って写真を撮った。
娘はいまフィルムカメラに夢中で、なかなかシャッターを押さないから時間がかかる。シャンゼリゼ通りのカフェで休んだらもう3時半を回っていて、大急ぎでゴッホ展へ。
パリのメトロはスリが多くて危ない、とかつては言われていたけれど、いまはそうでもなさそうだった。所々でストリート・ミュージシャンならぬメトロ・ミュージシャンが演奏しているのもいい感じ。そしてゴッホ展、これが素晴らしかった。
ゴッホの作品から500枚を選んで、50台のスピーカーから出る音楽とともに、140台のプロジェクターで映し出す。作品は動き、広がり、波打ち、上昇し、星のように降ってきて、一瞬たりとも静止することがない。私たちは好きな場所に立ちずさんで、あるいは寝転んで、作品を浴びることができる。
ふつうの美術館とは真逆の体験、というか、体感。圧倒的な絵の迫力とともに、絵筆を持つ瞬間のゴッホの衝動、描いている最中の情熱、そして哀しみ、苦悩までもが伝わってくる。そこに、大音量のジャニス・ジョプリン「サマータイム」やアニマルズ「悲しき願い」……。
原画を観る体験と比べるわけにはいかないけれど、迷わず言えるのは、ゴッホがものすごく愛しく思えた、ということ。
同時上映は、ゴッホが憧れ、夢見た日本の浮世絵アート。音楽は「戦場のメリークリスマス」。ぐっとこないわけがない。
パリでは焼け落ちたノートルダム大聖堂も観た。
去年仕事で来た時、当たり前のように何度も見ていた尖塔が、いまはない。
同じように見えても、すべてのものは移り変わる。
それでも、人間には失敗から学ぶ力がある。
リヨンとダブリンは、たまたまStayCity Aparthotelというところに泊まったが、やはりキッチンが付いているといいなと思った。ちゃんとした料理をつくらなくても、自分で食材を調達して、切ったり、和えたりすると、旅がぐんと味わい深くなる。ダブリンのFallon & Byrneに2度目に行った時、「これ、日本に持って帰れますか」と尋ねたら、「日本? 行ったことある! フジロックで」とスタッフの女性。なんとダンナさまがホットハウスフラワーズのメンバーだった。びっくり!
最後の日は幸運にも土曜日。テンプル・バーのフードマーケットが開いていて、大好きだったスライゴーの生牡蠣を。そしてシェアハウスがあったサンディコーヴに移動して「Carllucio’s」でスパゲティ・カルボナーラ。留学中に美味しい!と思ったものを夫に食べさせる、という目的は果たしたものの、さすがに旅の最終日、夫の胃も疲れてきた様子で勢いがない。
店を出て海のほうへ歩き出すと、急に猛烈な懐かしさが込み上げてきた。
たった10週間だったけど、日常を過ごした場所。鏡面の海。深く蒼い空。人間には描けない雲。生き生きとしたカモメたち。遠くにそびえる教会の尖塔。アイスクリーム。人懐っこい笑顔。
2年前の夏、私たちは確かにここに、暮らしていた。
小走りでパヴィリオン・シアターへ。何度か通ったこのシアターからは定期的にお知らせが届くので、ちょうどクリスティ・ムーアのコンサートがあることを知り、発売初日にチケットを取ったのだ。松井ゆみ子さん(アイルランド在住の料理家)いわく「北島三郎みたい(に知らない人はいない)」な国民的シンガーソングライター。
こんなに小さい会場でやるのは珍しいらしく、客席は熱気で溢れていて、そこに彼が登場した瞬間、その場の空気が気球のようにまあるく一つになって上昇した。
アコースティック・ギターを取り替えながら、20曲以上をたったひとりで。会場は大合唱と大爆笑の繰り返し。ああ、もっと英語がちゃんと聞き取れれば……と笑えない自分を残念に思っていたら、夫と娘は思いのほか楽しんだ様子。
「寝ると思うよ、ってずっと言ってなかった?」と尋ねると「だって、嫌いな曲も眠くなる曲もないし」と娘。夫は「英語はわかんないけど、すごく面白かった」。
クリスティ・ムーア。大御所なのに、偉そうな素ぶりがかけらもないチャーミングな74歳。夫の胃の疲れも吹き飛んだようだった。
帰り道、「とうはいいね。日本に帰るとすぐ現実が待っていて(翌日から会社)。私はダブルで非日常だから」と娘。
そっか。台湾から帰国してダブリンへ。ダブルで非日常なのか。へぇー。
でも、日常は簡単に非日常に裏返る。その時、日常を作り出す力をつけるために、私たちは旅をするのかもしれない。
さて、今度来られるのはいつだろう?
調べてみると、70歳くらいまでは乗馬も全然OKらしい。ということは……。
まあ、いいや。あんまり気張らず、また来よう。
ここは私の、勝手に決めたホームタウン。
まちの変化も、自分自身の変化も受け入れながら、大切なものを追いかける情熱は惜しみたくない。
幾つになっても、何があっても、夢に取り組む自由は誰にだってあるから。
というわけで、久しぶりに読んでくださって、ありがとうございます。
また、いつか、お会いしましょう。
See you again!!
(帰ってきてからつくったうどん。やっぱ、ごはんは日本がサイコー!)
三日目、そして……さよなら、アンナハーヴィ・ファーム
アンナハーヴィ3日目の朝、やっと時差ボケ解消。もう旅もほぼ終わりに近づいているのだけど。
ここで朝を迎えられるのも今日と明日だけ。光がキラキラしているうちに外へ出る。
巣を作りたい放題のツバメたちは忙しそう。そして「コケコッコー!」とけたたましく朝を知らせる声がする。
乗馬センターのスタッフの女性がやってきて、厩舎を開けると、ポーンと雄鶏が飛び出してきた。絵本の「ロージーのおさんぽ」さながら、農場の中を我が物顔に歩いていく。続いて、猫! ちっとも姿が見えないと心配していたら、やっと会えた。
朝の光は本当に綺麗。目に焼き付けてから、写真も撮る。この農場がいつまでもこの光を湛えていますように。
朝食の時、いつも忙しそうなリンダの姿が見えたので、写真を撮らせてもらう。グランドドーターのラーラとアディーも一緒に。
昨日から体調の悪い娘は、朝食もとくに頼まず。朝方、夫を起こして水を汲ませたり、足を揉ませたりしていたのに気づいたけれど、私は任せて寝たふりしていた。
午前中、ハードなレッスンはキツイので、フィールドにしてもらう。レッスンは乗馬の腕を向上させるためのもの。フィールドは散歩みたいなもので、楽ちんなのだ。
午後はレッスンとフィールド、ハーフ&ハーフ。そういうのがオーダーできるのもいい。
今日も絵に描いたようにいい天気、いい景色。緯度が高いアイルランドの光は、色という色を際立たせる。その深さをしっかりと網膜に焼き付けながら歩く。今日ロンドンに帰ってしまうエリアも一緒だ。
そのうち娘にとっては前回頭に棘が刺さって泣きそうになった茨のせせらぎの道へ。でも、今回は少しルパートが言うことに聞くようになってくれたようで、余裕の歩きだ。私のCobwebは必要以上にパシャパシャと蹄で水を蹴っていく。夫のTwixはやたら葉っぱを毟って食べながら歩く。
アリーナに戻る直前、雨がポツポツ降り始めた。そして私たちが戻った瞬間、ザーッと強く降り出した。「パーフェクト・タイミング!」と先生。
パイ生地の上にトマトと玉ねぎとチーズを載せて焼いた美味しいペストリーとサラダでランチ。休む暇なく2時からハーフレッスン&フィールド。明日も1時間乗る予定だったけれど、けっこうハードだから、これを最後にしたほうがよさそうだ。しっかり味わおう。
インドアでのレッスンはトロットでぐるぐる回った後、キャンター(駈歩)の触りを少し。久しぶりに鬣を掴む。でも、走らずにフィールドへ。午前中とは違う道を行く。
以前は9月で刈られた後だった小麦畑。いまは実った穂がサラサラと金色にたなびいて、まさに「麦の穂をゆらす風」。さすがにこの中には入らないだろう、と思っていたら、真ん中のほうまで入っていって「さあ、トロット!」。
このトロットを私は生涯忘れない。光と風と麦と馬。永遠のサークル。細胞の隅々にまでその空気を吸い込んでいると、後ろから娘の叫び声。
「一回止まって! ひゃーっ!」
ルパートはトロットしながら麦をむしり食べるので、あやうく振り落とされるところだったらしい。でも、麦畑の真ん中だから、きっと大丈夫だったよ。
馬に乗っている時、完全な安全はない。車じゃないから躓くことも、草や木の葉をいきなりむしって食べることもあるから、ただの散歩でも、常にからだのどこかでバランスを取っていなくちゃいけない。ましてやギャロップやジャンプは一歩間違えれば大事に至る。
でも、考えてみれば、もともと生きるってそういうこと。人間は安全をつくり出すためにものすごい時間と労力を使ってきたけれど、人間以外のすべての生きものは、危険と隣り合わせで生きている。
猫が減っているのも、ロッキーの姿が見えないのも、自然な流れ。馬たちだって、これだけいたら毎年何頭かは見送るに違いない。
シャワーを浴びて、タラモア・デューのトニックウォーター割を飲みながらセブンブリッジ。昨日とは一転、やっと運が向いてきた。娘の体調も少しずつ回復の兆し。夕飯は手羽元とソーセージのグリル、茹でたポテトとサラダ。ポテトを食べると落ち着くなぁ。
アンナハーヴィの夜は早い。リビングでトランプの続きをやっていたけれど、9時になると誰もいなくなった。外はまだ昼間のように明るかったけれど、部屋に退散。10時半には寝てしまった。
そして翌朝。さすがに早く目が覚めて散歩していたら、朝の光の中に神々しい2頭の馬。見とれていたら、こっちに向かって悠然と歩き出した。
申し訳ないくらいの美しさに頭を垂れる。
ルパートと別れ難い娘は、タクシーを待たせたまま、何度も何度も鼻を擦り合わせていた。
大丈夫だよ、あなたは二十歳。これからも来ようと思えば何度でも来られる。でも、私たちは……。
いやいや、そんなハードル飛び越えて、また来よう。
そして今度こそキャンターに挑戦するんだ。
平和は変化しながら創り出すもの〜アンナハーヴィ・ファーム二日目〜
アンナハーヴィ2日目の朝。夫は初めてのアイリッシュ・ブレックファストのsmallを、娘と私はパンケーキ、ベーコン付きを注文。パンケーキが前よりボリュームアップしていて朝からお腹いっぱい。手作りのジャムやシリアル、パンが並んでいるのは変わらない。
窓の外には子どもたち。犬のウォーリーと一緒に遊んでいる。ウォーリーは、遊んでもらっているのでも、遊んであげているのでもなく、しっかり一員となっている。
食事中にエヴェリンがやってきて、今日の予定を相談する。午後から天気が崩れそうなので午前はフィールド、午後はインドア・アリーナでレッスンすることに。
オジーが大き過ぎることを伝えようとした夫、“I think Ozzie is nice, but more big……”と言いかけて“Oh, too big” とすぐに理解してもらえた。手足が短いことを伝えられず、ちょっと残念。
というわけで、夫の馬は以前私がずっと乗っていたTwixに。そして私はバジルじゃなくてCobweb(クモの巣)という名の馬に。ふとインドア・アリーナを見ると、昨日の賑やかなイタリアン・ガールズがレッスンの真っ最中。ひゃー、ギャロップにジャンプまでやっている。サーモンは残していたけれど、本格的な乗馬ガールズだったのだ。
フィールドは途中から雨が降ってきたけれど、黄金に波打つ麦畑やヒースの丘に林、360度の風景を抜けて行くのは、心が洗濯されるようだった。
サンドイッチとサラダを食べて、ちょっと休んで3時から午後のレッスン。これがキツかった。習っていることは初級の初級、それでも3人で順番にやっていると乗馬がスポーツであることを体感する。汗だくになって今日のお務めは終了。すぐにシャワーを浴びて生き返る。
夕飯のテーブルに着くと、イタリアン・ガールズがモリモリ食べている。あ、パスタだ。ラッキー! スパゲティ・ボロネーゼを食べて、甘いデザートを食べていたら、雨が止んで晴れてきたので、迷わず外へ飛び出す。思った通り、虹! フィールドで一緒だった女の子、エリアがいたので、「ほら! 虹だよ」と教えてあげる。夫にも教えなくちゃ、と走り出したら何故かついてきて、夫が出てくるまでドアを開けていてくれた。
その後、綺麗な夕方の光の中、馬たちを見にいくと、まるで自分の家のように説明を始めたエリア。7歳なのに、なんてしっかりしているんだろう。イタリアン・ガールズもそうだけど、ロンドンからやってきたエリアも堂々と歩く姿がカッコいい。そして、馬と友達のようにじゃれている。
エリアと夫とゆっくりファームを散歩して戻ってきたら、昨日から調子が悪そうだった娘の具合が相当悪くなってきていたが、トランプをやると治るというので、リビング・ルームでセブンブリッジ。マーサとジルが誘ってくれて“Go Fish”というゲームをやったのを思い出しながら。娘は大勝ち、私は大負け。トランプ、強いはずなのに。悔しい。
アンナハーヴィ・ファームが乗馬センターとゲストハウスを始めたのは1997年のこと。それまでは普通の農場だったのを、ヘンリーとリンダが方向転換したのだ。そして今では4人の子どもたちの一番上のサムと一番下のアーロンが一緒に経営し、世界からお客様が訪れる乗馬宿になっている。
ファミリー・ヒストリーの最後にある言葉は、「私たちはエキサイティングな未来を心待ちにしている。次の世代に更なる変化があるのを。そう、この素晴らしい地に、次の5世代がホームを築くのを」。
そう、変化を怖れてはいけない。自ら変化を生み出していくことこそが、生き抜く術。朝昼晩みんなで食卓を囲むこの家族の平和は、そうやって生み出されている。そして、ここを訪れる人々の平和も、きっと。
愛しのルパートに再会!〜アンナハーヴィ・ファーム一日目
2年前、アンナハーヴィ・ファームに来た時の感動をいまも鮮烈に思い出す。
馬だけじゃなく、犬や猫、鳥、人、さまざまないのちが互いに支え合って生きている姿が、美しかった。ベッドサイドに置いてあるDeverell Famillyの5世代に及ぶ物語は壮大でドラマティック。永遠に続くようにと願わずにはいられないものだったが、永遠なんてものはなく、一日一日の地道な日常の上になんとかバランスをとって続いていっているのだろう。
その真ん中にいるリンダとヘンリー。19歳で農場を継ぐことになったヘンリーがリンダと出逢って、いまの形に持ってくるまで、それは大変な苦労があっただろう。でも、そんなことはかけらも感じさせない、絵に描いたように「幸せな家族」。リンダのくれた絵はいま我が家の玄関に飾ってあって、夫にとってはその作者に会える今回の旅だ。
タラモアの駅にはタクシーは一台もなく、教えてもらった電話番号をかけて待つこと20分。かなり高齢のThomasが迎えにきてくれて、アンナハーヴィ・ファームに着いた。すぐに出迎えてくれたのはリンダ。“Welcome back!”と爽やかな笑顔で荷物をすぐに運んでくれた。
着いたのは1時過ぎ。ランチタイムには遅れたかな、と思ったけれど、ちょうどよかったみたいで、サーモンがたっぷり載ったオープンサンドをいただく。サーモン好きな娘は大喜びだが、隣のテーブルのティーンエイジャーらしきグループは食が進まない様子。サーモンを山ほど残し、代わりにTAYTOのポテチの袋を残して去っていった。あの賑やかさとワガママさはイタリアン・ガールズに違いない。
午後のレッスンは3時半から、と告げられ、その前に厩舎を見に行く。いた、ルパートだ。いきなりアクションカメラマンになる娘。Twixもいる。バジルの姿は見えない。それにしても夫、64歳にして初乗馬。万一のことがないとは言えない。どんな馬に乗るのだろう。
娘は「ルパートに乗せてもらえるかな」とそわそわ落ち着かない。2年前、私が最初に乗ったバジルは24歳くらいだった。姿が見えなかっただけに、不安がよぎる。
時間が来て、厩舎のほうへ行くと、前にもお世話になったエヴェリンが前のクラスを終えてフィールドから戻ってきた。私たちのことを覚えてくれていて、「ああ、戻ってきたのね!」と。
そして、にこやかに「あなたはルパートね」と告げられて「やった!」と娘。「せつ子は……バジル」。よかった!
というわけで、2年前はチェンジしてもらったバジルに、ありがたく乗ることに。そして夫にはオジーという大きな白い馬。
いまさらに気がついたのだが、夫と娘は帽子がぴったりハマる。私はどんなにぴったりのを選んでも前後にフラフラ。そう、頭の形が縦長でないと収まりが悪いのだ。ということは、私よりもっと横長の人はそこでアウトじゃん!
ともかくも、外のアリーナで初めて馬に跨った夫。でも、その姿に何か違和感が漂う。
「とう、大丈夫?」と娘。「うん」と答えるものの、不安げな夫。しばらく見ていると、どうも遊園地とかでポニーに乗せられた子どもみたい。何度もエヴェリンに「キック! キック!」と言われるが、馬があんまり動かない。
何度かアウトドアのアリーナをぐるぐる回り、トロット(速歩)もやって、外へ出る。空は青く、雲が綺麗。穏やかにカーブする緑の丘、林、牛たち。ああ、ここは本当に地上の楽園だ。私たちのほかにロンドンから来たという母娘も一緒で、女の子は馬が歩かないから途中で先生が綱を繋いで引っ張っている。
いつも以上に楽しかったのは、マーフィーがずっと付いてきてくれたこと。絶対なついてくれない小さなジャックラッセルテリア。馬を追うのが自分の仕事だと思っていて、農場のパトロールに余念がない犬のおまわりさん(?)。以前いたラブラドルのロッキーの姿が見えないけれど、そのことについて尋ねる勇気はない。
無事に馬から降りた夫に「どうだった?」と聞くと、「楽しかった。でも、オジーはちょっと僕には大き過ぎる気がする」。
そう、身長の割に手足が短いために、胴輪を持つと前のめり、キックしようとしても足がパタパタするだけになってしまうらしい。
オジーはカッコいい馬だけど、チェンジしてもらったほうがいいね……と明日の台詞を考える。
“Ozzie is a nice horse but he is too big for me, because my legs & arms are too short……”
夕飯はパプリカとチキンの炒め物に雑穀入りのラップ。サルサソースとサワークリームとチーズが添えてある。デザートはあまーいブラウンシュガーの蒸しパンみたいなのと、とろけるアイス。
お腹がいっぱいになると、夕陽が沈むまで待てなかった。部屋に帰って横になった瞬間、爆睡。深夜に起きてトランプを1時間やって、もう一度眠ったのだった。
ダブリンに帰ってきた!
リヨン1泊、パリ2泊してダブリンへ。タラップを降りた瞬間(そう、タラップだった!)帰ってきたー!と空気で感じた。
まずは、涼しい! そして、タクシーの運転手さんはフレンドリーだし、アパートホテルのレセプションの女性もとっても親切。何がいいって、何を言っても“Very good!”、“Perfect!”と返ってくるところ。そして、怒られることがない。写真を撮っても、赤信号を渡っても。
パリからやってくると、ダブリンの街は小さい。セーヌに比べるとリフィーの流れはこじんまりと慎ましく、大きな建物もあまりない。凱旋門は勝戦を祝うために作られたアーチけれど、そういう意味では、ダブリンはある意味「負け組」。タクシーの運転手さんが「いまは英国のユーロ脱退の話題で持ちきり」と話していたけれど、長く英国に振り回され、その歴史はいまも続いている。
だからこそ、ここには偉そうなおじさんがいない。そして女性たちは強く素朴であったかい。“Thank you very much” “No problem”を聴くたびに毛穴からアイリッシュの風が吹き込んでくる。
ダブリンでは、まず娘が大好きだった「Fish Shack」で、生牡蠣、フィッシュ&チップス、カラマリのフライ、エビフライを注文。ああ、やっぱりアイルランドの牡蠣は最高だ。ビール片手に何度も「美味しいね」と呟く夫。お腹いっぱいになってグラフトン・ストリートへと歩いていたら、ディングル半島のアイスクリーム“Murphy’s”を発見。こんなところにあったっけ? 2年の間にできたのかな。
注文はもちろんディングル・ジン。ハーブの香りも爽やかで、ジンの美味しさに初めて気づいた味が口中に広がる。
目的地はケータイ電話会社の「3」。結局フランスではsimなしで過ごした娘は「ダブリンに着いたら、まず3に行くからね!」と息巻いていた。無事グラフトン・ストリートの端っこに店を発見。1ヶ月使い放題€20! 1ヶ月も要らないけれど、simを買って入れるだけで、電話も使えてこの安さ。迷わずゲットし、sim飢餓が解消された娘はホクホク顔だ。
台湾で一人で過ごす時間、YouTubeに救われているという娘。どんな時でもYouTubeを見て大笑いすると生きていけるらしい。YouTuberは孤独と孤独を繋ぐ人……と気づかされる。
そのままセント・スティーブンス・グリーンへ。街歩きに疲れた観光客の休憩所でもある美しい公園には、鳥たちが以前と変わらずわんさかいた。木漏れ日がゆらゆら、緑は光に映えて鮮やかで、風は五月のように爽やかだ。カモメとやたら視線が合う。「エサをやらないでください」なんて看板はここにはない。
さ、チェックインできる時間になったから宿にいったん帰って洗濯をしよう。歩き出して、「Fallon & Byrne」を見つけ、朝食用の食材を買う。泊まっている宿は長期滞在型なのでキッチンがある。アイリッシュアップル・ジュースとフルーツをたくさんとトマトとモッツァレラとパンとバターと(アイルランドはバターが安価でめちゃくちゃ美味しい!)紅茶と塩とショッピングバッグを買って€40。意外と高かったけれど、食材を買うと「生活している」気がしてくる。
そのまま宿に向かおうとしたら「ここでおやつに“Chopped”を食べない?」と娘。サラダの食材を、葉野菜、タンパク質、追加食材、ドレッシングを選ぶと両側に柄のついた包丁でザクザク“Chop”してくれる店。来た道を引き返して店でアレコレ迷っている娘の食欲に呆れつつ、私は時差ボケがまだ尾を引いて猛烈に眠くなってきた。
けっこうな距離を歩いて「StayCity Apartmenthotels」に戻り、ロッカーからスーツケースを取り出して、鍵をもらった部屋へ。これが本当にアパート的な造りで、迷路のような廊下を渡り、最後は荷物を持ったまま階段を下ることに。部屋に到着した時にはどっと疲れが。
でも、さすがアパート、冷蔵庫は大きく、電磁調理器やお皿も完備、洗濯機と乾燥機も揃っていて、ありがたい。食材を冷蔵庫へ、3日分の洗濯物を洗濯機に放り込んで、娘が“Chopped”をモリモリ食べていたら、時間がなくなってきた。日本でチケットを取っておいた「リヴァーダンス」を観に行かなくちゃ。
できれば早めに着いて一杯飲んだりしてから観たいのに、結局猛スピードで1.5kmを歩き、5分前に飛び込むことに。そして肝心のリヴァーダンス、座った瞬間に眠気が嵐のように襲ってきた。
睡魔と闘いながらも超人的なダンスを観終わって、夫に感想を尋ねたら「下北とか渋谷にいる感じだった」と。なんじゃそりゃ? 3人で並んで観ていると、日本にいる気分になったのだそうだ。
英国占領下でダンスも禁止されていた時、窓から見えないよう下半身だけでステップを踏んだ伝統的なアイリッシュ・ダンスを、世界に通用するようスタイリッシュにアレンジしたのがリヴァーダンス。タップダンスやフラメンコ、ロシアンダンスなど他国のダンスも織り込んで、上流階級のためじゃない、庶民のいのちを震わせるステージをたっぷりと観せてくれた。
最後はアイリッシュ・パブでギネスで乾杯。夫はアイリッシュビーフのサーロインステーキ・サンドイッチ、私はコルカノンを注文し、3人でシェア。どちらも素材の味が生きていてシンプルで美味しい。サラダがお腹に残っていたのか、「何もいらない」と言っていた娘も、結局しっかり食べた。女主人が“スロンチャ!”と2杯目のギネスを差し出した時、とても満たされた気分になったのだった。
そうそう、一つ忘れちゃいけないことが。2年前、グラフトン・ストリートで5回くらい会ったミュージシャン、まだ歌っているかな……とやたら気にしていた娘、通りを歩いていた時は遭遇できず、2年経ったから当たり前か……と言っていたら、マルーン像の前に彼が!
前よりヘアスタイルや雰囲気がクールになってて、イケメンに。ちょっと近寄りがたくてそのまま通り過ぎてしまったけれど、話しかければよかった、と後から。日曜日、またダブリンに戻った時に会えるといいな。
さあ、明日はいよいよタラモアの乗馬宿、アンナハーヴィファームだ。
リヨンでアレクシと再会。旅はまだまだ続いていく
フランスにやってきている。
2017年夏、私たちのシェアメイトだったアレクシに会うためだ。
2カ月間、同じ語学学校に通い、同じシェアハウスで暮らしたフレンチ・ボーイ。娘にとっては父親みたいに願いを叶えてくれる人だった(年は4つくらいしか違わないのに)。
私たちが二人してお腹の調子が悪くなったときはトイレットペーパーをくれて、「ナゲット丼」をつくってくれた。日本のアニメや食べ物に詳しくて、オムライスを「YouTubeで見たことがある!」と言って喜んで食べ、攻殻機動隊やパトレイバーを「僕の人生を変えた」と言い、ふだんも別れ際の言葉がなかなか出てこない娘に“Take your time”と何度も言ってくれた人。
“See you again”と言って別れたものの、本当に会いにいくなんて、アレクシにとってはどうなんだろう? 2年前とは生活も変わっている中で、迷惑じゃないだろうか?
いろいろ思いを巡らせながらも、リヨンに会いにいくことにした。それまでのやり取りは娘に任せた。
そもそも今回の旅のハイライトは、3カ月間留守番で鳥と犬の世話をしてくれていた夫をタラモアの乗馬宿に連れていくこと。昨年9月から娘が台湾で寮生活を始め、オカメインコのひーちゃんが今年2月に天寿を全うし、これまでの「世話係」を卒業した夫の慰労の旅でもある。
というわけで「アイルランド留学日記」再会編。しばしお付き合いください。
さて、羽田からパリまでは12時間半。パリからリヨンまではTGVで2時間。リヨンはフランス第2の都市で、なんといっても「美食」で知られる街。11時に着いたので、ホテルに荷物を預け、まずは世界遺産にもなっている旧市街を散策しようと通りに出たものの、早くも迷子。早朝に着いたのでsimも買えず、Googleマップにお世話になることもできずに佇んでいると「どうしたの?」と声をかけてくれた女性はバゲット片手に買い物帰りの様子。「4番線に乗りたいんだけど……」と夫が言うと「えーっと……」と説明しようとして、「ついてきて」と歩き出した。家に帰ろうとしていたはずを、反対方向に歩き出す彼女に付いていく私たち。
10分は歩いただろうか。ようやくメトロの駅に着いて、なんて親切な人なんだろう、と御礼を言おうとしたら駅への階段を降り始める。そして、切符の買い方まで教えてくれたうえに、私たちが電車に乗り込み、発車するまで見送ってくれた。持っていたバゲットを大きく振り回して“Take care”と言いながら。
親切にもほどがある。ネットが使えないおかげで出会えたスーパーカインド・レディ、サビーヌのおかげでリヨンの印象は赤丸急上昇。結局、そういうことなのだろう。
すでに長旅で消耗気味の私たちだけど、なんとかヴィユーリヨン(旧市街)までメトロで行って、坂も登って、古代ローマの円形野外劇場遺跡~ノートルダム大聖堂へ。パリの大聖堂が消失した後だけに、しみじみとそこに刻まれた人々の祈りと労働の歴史に感じ入る。
びっくりするくらい美味しいアイスクリームを食べた後、フルヴィエールの丘から中世の絵画のような街並を一望して、今度はひたすら坂道を降る。
途中、妙な悲鳴に振り返ると、見事に鳩の直撃を受けたらしき娘。ここらへんで休憩しようと店を探すと、サン・ジャン大聖堂の周りにはBOUCHONS LYONNAISと掲げたお店が並んでいた。これは確か伝統的なリヨン料理がカジュアルに食べられる店だったはず、と入り、娘は早速手洗いへ。午後3時を回っているのにソーセージの赤ワイン煮を頼もうとした夫を、「そんなの食べたらアレクシとの夕飯が食べられなくなるよ!」と制してカルボナーラに変更させたら、とんでもない量のベーコンが絡まったパスタが出てきた。サーモンのマリネを頼んだ娘も、添えられたポテトの量にびっくり。
後で調べたら“BOUCHON”とは「わら束」という意味で、かつては馬を休めるための旅籠。その後、絹織物で栄えたリヨンの労働者に安くてボリュームたっぷりの料理を提供する大衆食堂を、こう呼ぶようになったらしい。
フランス革命で職を失った宮廷料理人が地元で町の人に食事を提供したのがレストランの始まり。その中でもリヨンは「メール・リヨネーズ」と呼ばれる女性シェフたちが、棄ててしまう内臓を美味しいソーセージにして労働者に提供した歴史があって、いまや世界に名を轟かせるポール・ボキューズも、その一人、メール・ブラジエの元で学んだとか。
軽食のつもりがしっかりお腹いっぱいになり、たった一杯のアルコールも回って、へろへろしながらいったん宿に戻ると、アレクシから予約したレストランの名前が届いていた。宿から90m、ものすごく近い店を予約してくれたらしいが、出てきた情報の高級さに「こ、こんなにお洒落なところ……?」と3人に緊張が走る。
シワシワのシャツを眺める夫に、服がない!とスーツケースをひっくり返す娘。私も一張羅のワンピースを出してみるものの、足元は靴下で年齢不詳。珍しく待ち合わせ時間より早くレストランに到着したのだった。
“Victoria Hall”というセレブでお洒落なレストランにどう見ても不釣り合いな3人だったけれど、やってきたアレクシは、Tシャツに短パン。2年前と全く変わらぬ気さくさで、店を探してくれた友達のキャミと一緒に挨拶。ほっぺにチュッとするフランス式の挨拶に、夫は顔を真っ赤にする。
いま映像の勉強をしている娘に「何かわからないことがあったら聞くといいよ」と3Dアーティストのキャミの連絡先を教えてくれたアレクシ。自分も無事システム・エンジニアになれたようで、プログラミングというよりはそれを発展させるほう、といまの仕事を教えてくれた。
説明されても今ひとつわからないけれど、とにかく夢を叶えたらしいアレクシ。よかった、よかった。私にも「何をやってるの?」と聞いてくれたので、「“地球の庭師”もしくは“地球のお医者さん”のドキュメンタリー制作にチャレンジしているんだよ」と話した。
日本とフランス、お互いに好きな映画やアニメや小説の話をしながら、質問されるたびに緊張して言葉を考える娘を「“Yes,Sir!”って上官に答える兵士みたいだね」とアレクシ。相変わらず出来の悪い妹をフォローするお兄さんみたいに優しかった。
シェアハウスで、「ラーメンを食べてみたい。それとお餅」と言っていたので、アレクシへのお土産は白河らーめんと二本松の手づくりお餅。らーめんの作り方は、とりあえず英語でメモをつけた。それを大事に抱えて、最後は夫とお会計を巡って大バトル。
「今度日本に行った時はご馳走するからね!」と店の前で再度のお別れ。もう電車はないそうで、迎えにきたキャミのボーイフレンドの車に一緒に乗り込んでいき、私たちはその可愛い車を見送ったのだった。
あれから2年も経ったなんて。でも、今回思いきって会ったことで、次の再会がぐっと近くなった気がする。いつか、コロンビアのアンジェラやアナンダにも会えるだろう。
“See you again anywhere, everywhere ”
言葉は現実をつくるためにあるのだから。