リヨンでアレクシと再会。旅はまだまだ続いていく
フランスにやってきている。
2017年夏、私たちのシェアメイトだったアレクシに会うためだ。
2カ月間、同じ語学学校に通い、同じシェアハウスで暮らしたフレンチ・ボーイ。娘にとっては父親みたいに願いを叶えてくれる人だった(年は4つくらいしか違わないのに)。
私たちが二人してお腹の調子が悪くなったときはトイレットペーパーをくれて、「ナゲット丼」をつくってくれた。日本のアニメや食べ物に詳しくて、オムライスを「YouTubeで見たことがある!」と言って喜んで食べ、攻殻機動隊やパトレイバーを「僕の人生を変えた」と言い、ふだんも別れ際の言葉がなかなか出てこない娘に“Take your time”と何度も言ってくれた人。
“See you again”と言って別れたものの、本当に会いにいくなんて、アレクシにとってはどうなんだろう? 2年前とは生活も変わっている中で、迷惑じゃないだろうか?
いろいろ思いを巡らせながらも、リヨンに会いにいくことにした。それまでのやり取りは娘に任せた。
そもそも今回の旅のハイライトは、3カ月間留守番で鳥と犬の世話をしてくれていた夫をタラモアの乗馬宿に連れていくこと。昨年9月から娘が台湾で寮生活を始め、オカメインコのひーちゃんが今年2月に天寿を全うし、これまでの「世話係」を卒業した夫の慰労の旅でもある。
というわけで「アイルランド留学日記」再会編。しばしお付き合いください。
さて、羽田からパリまでは12時間半。パリからリヨンまではTGVで2時間。リヨンはフランス第2の都市で、なんといっても「美食」で知られる街。11時に着いたので、ホテルに荷物を預け、まずは世界遺産にもなっている旧市街を散策しようと通りに出たものの、早くも迷子。早朝に着いたのでsimも買えず、Googleマップにお世話になることもできずに佇んでいると「どうしたの?」と声をかけてくれた女性はバゲット片手に買い物帰りの様子。「4番線に乗りたいんだけど……」と夫が言うと「えーっと……」と説明しようとして、「ついてきて」と歩き出した。家に帰ろうとしていたはずを、反対方向に歩き出す彼女に付いていく私たち。
10分は歩いただろうか。ようやくメトロの駅に着いて、なんて親切な人なんだろう、と御礼を言おうとしたら駅への階段を降り始める。そして、切符の買い方まで教えてくれたうえに、私たちが電車に乗り込み、発車するまで見送ってくれた。持っていたバゲットを大きく振り回して“Take care”と言いながら。
親切にもほどがある。ネットが使えないおかげで出会えたスーパーカインド・レディ、サビーヌのおかげでリヨンの印象は赤丸急上昇。結局、そういうことなのだろう。
すでに長旅で消耗気味の私たちだけど、なんとかヴィユーリヨン(旧市街)までメトロで行って、坂も登って、古代ローマの円形野外劇場遺跡~ノートルダム大聖堂へ。パリの大聖堂が消失した後だけに、しみじみとそこに刻まれた人々の祈りと労働の歴史に感じ入る。
びっくりするくらい美味しいアイスクリームを食べた後、フルヴィエールの丘から中世の絵画のような街並を一望して、今度はひたすら坂道を降る。
途中、妙な悲鳴に振り返ると、見事に鳩の直撃を受けたらしき娘。ここらへんで休憩しようと店を探すと、サン・ジャン大聖堂の周りにはBOUCHONS LYONNAISと掲げたお店が並んでいた。これは確か伝統的なリヨン料理がカジュアルに食べられる店だったはず、と入り、娘は早速手洗いへ。午後3時を回っているのにソーセージの赤ワイン煮を頼もうとした夫を、「そんなの食べたらアレクシとの夕飯が食べられなくなるよ!」と制してカルボナーラに変更させたら、とんでもない量のベーコンが絡まったパスタが出てきた。サーモンのマリネを頼んだ娘も、添えられたポテトの量にびっくり。
後で調べたら“BOUCHON”とは「わら束」という意味で、かつては馬を休めるための旅籠。その後、絹織物で栄えたリヨンの労働者に安くてボリュームたっぷりの料理を提供する大衆食堂を、こう呼ぶようになったらしい。
フランス革命で職を失った宮廷料理人が地元で町の人に食事を提供したのがレストランの始まり。その中でもリヨンは「メール・リヨネーズ」と呼ばれる女性シェフたちが、棄ててしまう内臓を美味しいソーセージにして労働者に提供した歴史があって、いまや世界に名を轟かせるポール・ボキューズも、その一人、メール・ブラジエの元で学んだとか。
軽食のつもりがしっかりお腹いっぱいになり、たった一杯のアルコールも回って、へろへろしながらいったん宿に戻ると、アレクシから予約したレストランの名前が届いていた。宿から90m、ものすごく近い店を予約してくれたらしいが、出てきた情報の高級さに「こ、こんなにお洒落なところ……?」と3人に緊張が走る。
シワシワのシャツを眺める夫に、服がない!とスーツケースをひっくり返す娘。私も一張羅のワンピースを出してみるものの、足元は靴下で年齢不詳。珍しく待ち合わせ時間より早くレストランに到着したのだった。
“Victoria Hall”というセレブでお洒落なレストランにどう見ても不釣り合いな3人だったけれど、やってきたアレクシは、Tシャツに短パン。2年前と全く変わらぬ気さくさで、店を探してくれた友達のキャミと一緒に挨拶。ほっぺにチュッとするフランス式の挨拶に、夫は顔を真っ赤にする。
いま映像の勉強をしている娘に「何かわからないことがあったら聞くといいよ」と3Dアーティストのキャミの連絡先を教えてくれたアレクシ。自分も無事システム・エンジニアになれたようで、プログラミングというよりはそれを発展させるほう、といまの仕事を教えてくれた。
説明されても今ひとつわからないけれど、とにかく夢を叶えたらしいアレクシ。よかった、よかった。私にも「何をやってるの?」と聞いてくれたので、「“地球の庭師”もしくは“地球のお医者さん”のドキュメンタリー制作にチャレンジしているんだよ」と話した。
日本とフランス、お互いに好きな映画やアニメや小説の話をしながら、質問されるたびに緊張して言葉を考える娘を「“Yes,Sir!”って上官に答える兵士みたいだね」とアレクシ。相変わらず出来の悪い妹をフォローするお兄さんみたいに優しかった。
シェアハウスで、「ラーメンを食べてみたい。それとお餅」と言っていたので、アレクシへのお土産は白河らーめんと二本松の手づくりお餅。らーめんの作り方は、とりあえず英語でメモをつけた。それを大事に抱えて、最後は夫とお会計を巡って大バトル。
「今度日本に行った時はご馳走するからね!」と店の前で再度のお別れ。もう電車はないそうで、迎えにきたキャミのボーイフレンドの車に一緒に乗り込んでいき、私たちはその可愛い車を見送ったのだった。
あれから2年も経ったなんて。でも、今回思いきって会ったことで、次の再会がぐっと近くなった気がする。いつか、コロンビアのアンジェラやアナンダにも会えるだろう。
“See you again anywhere, everywhere ”
言葉は現実をつくるためにあるのだから。