55歳からのアイルランド留学日記

3ヵ月、ダブリン郊外の語学学校に通いつつ、ケルトの風に吹かれてくるよ〜

Thanks a million! 〜また、いつか〜

さて、ここからは後日談。

 

行方不明だったスーツケースは一日遅れで成田に届き、その日のうちに宅急便で届けられた。
日本に帰ったら、ああ、あれは夢だったんじゃないか……と、なんとも言えない虚しさに襲われそうだという予想は外れ、3ヶ月の日々は眩しい思い出というよりは日常と地続き、見えなかった扉が次々に開かれた感覚だ。

 

あの岩だらけの大地と崖、鳥が飛び交う大きな空とドラマチックな雲、強い風と砕け散る波、草を喰む羊や牛や馬、そして無敵な虹。
親切でお人好しでちょっぴりシャイで、人に怒られるのが嫌いで、その代わり誰のことも怒らない愛すべき自由な人々。
初めて訪れたのに、初めてとは思えない懐かしさと「生きる」ことの生々しさが細胞レベルで迫った日々は、自分の中にいまもヴィヴィッドに生き続けている。

でも、それ以上に生きているのは、アンジェラやアナンダ、アブドラやアレクシ、セシルにローラ、アドリアーノ……ら、ちょっと変わったクラスメイトの癖のある英語と愛しい笑顔。
もし、彼らに会わなければ、コロンビアという国も、ブラジルも、サウジアラビアも、フランスも、遠い国だった。
「多様性」という言葉が、こんなに深くからだに落ちたことは、かつてなかった。

そして、働かずに学んだ毎日は、初恋の人に再会したような恥ずかしさと嬉しさに満ちていた。

 

日本に帰ってやったことといえば、トイレの便座の保温スイッチを切ったことと、土鍋でごはんを炊いたこと、鰹節と昆布で出汁をひいた味噌汁をつくったこと。
3ヶ月いなかったから忘れちゃったかな、と思った犬は、顔を見た瞬間尻尾をビュンビュン振って顔をこすりつけてきて、その後家を3周。
オカメインコは娘の声に応えて、ずーっと「ホイヨ」の掛け合いを続けていた。

家の中はほとんど何も変わっておらず、テーブルの上に置いた荷物、椅子に引っ掛けておいた焼き菓子、いろいろなところに散らばった書類やその他も見事にそのまんま。
賞味期限2週間の焼き菓子をとりあえず食べてみたら全然OK、他にも期限切れのものを探して食べている。

嬉しかったのは、久しぶりに家のベッドで寝ようとしたら、布団はふんわり、シーツはピッと張っていたこと。
そして昼までしっかり寝てカーテンを開けると、窓が綺麗に磨かれていたこと。

変わらない、ということは、積極的な意志と行動。
犬も鳥も元気で、家の中も荒れず、ぱっと見、変わらずにあったということは、実は夫の努力の賜物だった。

 

アイルランドは「変わらない」国だとよく言われる。
街の風景が100年前とほとんど変わっていないドニゴールのダングロー。
ダブリンでさえ、大きくは変わっていない。
でも、それは何もしないからではなく、「変えない」意志と行動に支えられているのだろう。
何と言っても変わらないのは人々で、友人のミュージシャンが言った通り「バカみたいに親切な」人に何度も出会った。
人がたくさんいない、ということもあるのかもしれない。
人間本来の素朴なあたたかさ。その反面、成功した人をよく思わない気持ちもあるようで「U2のボノなんてみんな好きじゃない」とジョン(先生)が言ったときにはびっくりした。
アイルランドに伝わる昔話の激しさ、怖さ、血生臭さは、今回は感じられなかったけれど、この地の厚い岩盤の底、人間性の底にあるものなのかもしれない。

厳しい自然、岩だらけの大地と闘いながら、さらに英国に蹂躙され続け、主食のジャガイモ大飢饉に襲われ、それでも屈することなく生き抜いてきた人々。
人々を繋げたのは音楽、ダンス、言葉、そしてビール、ウィスキー。
アイルランドを何度も訪れる人が多いのは、そんな人間の「原点」に触れられるからかもしれない、とも思った。


何度か登場したミュージシャンは、「友人の」と呼ぶのはおこがましいけれど、アイルランドに行きたいと思ったきっかけもくれた人で、HEATWAVE山口洋さん。
アイルランド、とくにドニゴールを旅しながら聴く彼の音楽は、アップダウンの激しい一本道、その風景とあまりにぴったりでびっくりした。
滞在中お世話になった松井ゆみ子さんは彼が繋いでくれた人だけれど、初めて訪れたアイルランドが忘れられず、何年も通い、遂に移住してしまった人。
「不便を楽しめるようになれば、どこでも生きていける」
そんな彼女の言葉を滞在中の励みにした。いま彼女は「不便ってナニ?って感じ」らしい。

 

3ヶ月と10日、娘との関係もいろいろあった。
ダブリンからダン・レアリーに移って、家の近所の公園で、あまりの人の多さに泣いた娘。
娘は中学の時、登校拒否、もとい、登校はしてもクラスに行くのを拒否していた。
きっかけは男子の言葉の暴力。それがどの程度のものかは本人でなければわからない。
でも、それ以来、高校生になっても、男子というものに恐怖心を抱き続けていたらしい。
それが、シェアハウスで奇しくもボーイズと一緒に暮らすことになり、アレクシやリオやクエンティンやイーヴァンのためにローストチキンやグラタン・ドフィノワを一生懸命つくった。
英語が嫌いで、行けばなんとかなる、と言っていた英語も、たいして勉強しないからそれほど上達しなかったけれど、それでも私とは違う人間関係をつくっていた。
言葉は大事。でも、全てじゃない。
いろいろな場面でしっかりしていない娘に頭にくることがたくさんありながら、でも、助けられる場面もたくさんあった。凸凹。
なんと言っても、こんなに長く娘との一緒にいたのは赤ちゃんのとき以来。
電車に乗り遅れたり、無賃乗車したり、一緒にお腹を壊したり、大量のおにぎりをつくったり、同じ友達と遊んだり、パスポートを失くしたり、そのおかげで美味しいお寿司に出会えたり。
母娘、を外れた関係の中での出来事は、いつか愛しい思い出になるだろう。

 

55歳。
書いてみると重い数字の並びではあるけれど、重い荷物はできるだけ降ろして、軽やかに動いていきたいなぁ。
アイリッシュのオジさんみたいに、いつもギネスを飲んでいて、チャーミングな笑顔で時々アイロニックなジョークを言うような、そんな人になりたい。
そして、虹を見逃さないように、いつも空を仰いでいたい。

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そもそもこのブログは、日記を書き続けることができない自分のために、そして、知人・友人に「無事」を伝えるために、始めたものです。
正直、ほぼ毎日書き続けることはきつかったです。
でも、読んでくれる人がいるということが、どれほど励ましになり、どれほど心を温めてくれたか。
時々メールで「大丈夫?」「読んでるよー」と連絡をくれる友人・知人のありがたさ。
そして、会ったことのない、はてなブログのコミュニティの方々のエールに、何度も支えられました。

こんな時、アイルランドではこう言います。
Thanks a million!!!!

 

とりあえず、明日9日は、浅草で開かれる「ケルト市」に行ってこようと思います。
http://www.mplant.com/celticmarket/index.html
そして、もしかしたらここで、何かの会が持てればいいなと思っています。
http://www.celtic-moon.jp
まだ、何も決まっていませんが。

 

また、ここから繋がる何かがあればお知らせしますが、ひとまず最終回です。
ご愛読、本当にありがとうございました。

See you again!

また、いつか。

 

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アイルランド留学を考えていらっしゃる方、また他のことでも、何かあればこちらへメッセージください。

kisaramoon1117@gmail.com